訪問看護師あまぐりです。
お久しぶりです。訪問看護師となり一年が過ぎました。利用者様の最後に携わり今思う事・・・
救急病院では、死に向き合う場面が多々ある。搬送され助かる命・助けられなかった命。どの場面でも、完璧に看護ができたなんて日はなかった。医療に携わる人で死に関して満足いく医療の提供ができたって思う人はいないと思う。自分の行動に振り返り、反省しもっと、急変対応や最後の時をどう看護するかを自問自答しながら過ごす新人時代だった。経験値を積み上げた今でも、まだ答えは見つかっていない。ただ粛々と家族との最後の瞬間を向き合って頂く為のケアを進めていく事が自分の出来る最大だろうと思い携わっていた。病院で、できる精一杯のグリーフケアと思いお見送りをしていた。場所は変わり在宅へ変わりどういうふうに・・・。在宅になれば、患者様との関わりが密になり、看護師として向き合える・寄り添える事があるだろうと思った。勤務先では、グリーフケアをしていると説明を受けた。先輩ナースから伝えられた事は、うちはグリーフケアとして、お通夜やお葬式の参列するようにしてます。と聞き、少し違和感はあったが、言われるがまま参列した。私以外は生前はどうだったね。あの時こうだったねと家族と故人とのエピソードトークや、今後の話、治療の方針をこうしてほしかった等々・・。ただ、私は見守る事しか出来なかった。そもそも。この通夜や告別式に、医療者は参加してもいいのか?これをグリーフケアというのか?そして検索を行った所、基本参加はしない。別のタイミングでご家族の状況や患者さまの死に対しての受け入れた事によって心身の変化の有無を確認していく事と示されていた。通夜・告別式への参加はしない事が望ましいと記載していたのを確認した。この情報がすべて正しいわけではないだろう。けれども、私はこのルーティーン的にお通夜・告別式の参列する事に違和感を覚えた。私の憶測かもしれないが、手っ取り早く参列してくれてありがとうを言ってもらえるからかなと思った。それでは、病院時代の私と何が違うんだろう。グリーフケアは何?の答えが自分の中で結論が出るまでは、強制的に参列しているという思いが消えるまでは、参加は控えようとおもった。故人に失礼かなと思った。
(^^)/今日の自分より明日の自分へ前進を・・・(^^♪
次回・・・ちょっと在宅看護は休憩。過去の私。。。後輩看護師の心の疲弊・・・職場の人間関係・・・どこにでもいる奴( ;∀;)